ジュニア(長男)が生まれた時、喜びと不安でいっぱいな私は、どんな風に子育てをしていけばよいのだろうかと考えました。
そして日々の育児に追われるまま、あっという間に半年以上が過ぎました。
ある時、昼寝をしているジュニアに寄り添って横になっている時に、この子はどんな子になっていくんだろう。私はこの子をどんな風に育てていけばよいのだろう、といった疑問が再浮上したのです。
ある時、同期とお酒を飲みかわす中で、その疑問はこんな風にパラフレーズされました。
「子育ての『方針』は何か?」
そうか、今私は子育てという任務における「方針」を考えていたのか。何かがすとんと腑に落ちました。
なぜ「方針」が必要か?
思うようにいかないのが子育て。方針なんて考える必要はなく、ただ子どもに向き合ってその都度最善を尽くせばいい。そういう意見もあろうかと思います。
私もその通りだと思います。
しかし、不確実性の高い状況では当面の方針があった方が針路を取りやすく、また方向修正も容易であるのもまた事実であると、私の経験が告げています。
また、陸上自衛官のサガとして、方針があった方がなんとなく落ち着きます。
以上の経緯から、私は子育てにおける当面の方針を案出することにしました。
私の「任務」と「方針」
自衛隊では、任務を遂行するための作戦計画を立てる際に必ず「方針」を決めます。
「方針」とは、様々な選択肢の中で決断が難しいときに、指針となるような方向性のことです。
それでは、そもそも子育てにおける私の任務って何でしょうか?任務が明示されなければ、方針を決めることはできません。
しかしこれは、「〇〇までに××を△△せよ」といった具合に上級部隊から降ってくるものではありません。自分で考えなければならないのです。
悩んだ末に私は、父親としての自分の任務を「ジュニアが幸せな人生を歩めるようにする」ことだと仮決定しました。
それでは、ジュニアが「幸せな人生を歩めるように」子育てをする上で、どんな方向性をとるべきでしょうか。
翻って、自分で幸せな人生を歩むためにはどんな素養が必要となってくるのでしょうか。
幸せに生きるために必要な能力
「自律」=自らの規範に従い行動すること
この時、ふっと頭に浮かんだのが、「自律」というキーワードでした。
レンジャー課程では「生存自活」という技術を学びます。身の回りのものを活用して生き延びるいわゆる「サバイバル技術」のことです。生存自活技術を極めれば、より少ない物資で長く活動することができます。
確かに、どんな状況においても生きる術を身に付けていることは幸せな人生を歩む上でも大切な要素に思えます。ただ、あまりにサバイバル的な能力だけに特化しても、現代社会での幸せにはつながらなさそうです。
再び考えた末に私は、人生における「生存自活」を「生きる上での依存が少ないこと」と捉えなおしました。
今日、自分が幸せかどうかの判定を、多くの人が他者の価値観に委ねているように思えます。これは、我が身を振り返ってみてもそうです。皆が欲しがるものを持つ、人からすごいと思われる。こういったことが幸せの源泉となっていることは、否定しがたい事実です。しかし、「他者」とは実体のない虚像に過ぎないため、他者の評価に依存した幸せも、また一時的で虚ろなものにならざるを得ません。
他者の価値観や特定のモノに依存することなく、自分にとっての幸せを自ら定義し、自分を幸せにできる素養。特に今日において、幸せに生きるためにはこのような素養が求められていると思います。そして、これを実践するためには、自ら規範を確立してそれに従って行動する能力、すなわち「自律」が必要となるでしょう。
幸せの源泉は外ではなく、自らの内に求めるべきかと思います。誰かからの賞賛や羨望を幸せの源泉とするのではなく、自分は何をすることによって幸せを感じるかを自分で理解すること。そして、周囲からの評価を顧みずそれを追い求めること。このようにして、自律は幸せへとつながっていく、そのように私は考えます。
「感性」=幸せを感じる素養
次は「感性」です。
昔、こんな記事をどこかで読んだことがあります。
健康で力強い若者が次々と力尽きていくアウシュビッツの過酷な環境下において、決して頑健とは言えない人たちが少なからず生き延びた。彼らは、例えば窓から見える景色に野花を見つけ、春の訪れに希望を感じられるような感性の持ち主であったように思う。
私は、「感性」とは「幸せを感じる能力」だと考えます。
どんなに物質的に恵まれた環境でも、感性が乏しければ幸せを感じることは出来ないかもしれません。反対に、感性が豊かであれば日常を形作るあらゆることに幸せを感じることができるでしょう。
私自身も、訓練中に自分の体重よりも重い背囊を背負い、苦しさに喘ぎながらも紅葉の鮮やかさに息を呑んだことを、今でも良く覚えています。
代り映えのしない毎日を過ごしているように見えても、そこにはきっと些細な変化や、美しい一瞬というのはあると思います。そういったことを感じ取り、幸せを感じる「感性」を育んであげたいと思います。
どうすれば自律と感性を育めるのか
子育てにおいて、自律と感性を重視して育んでいきたいということは何とか固まりました。しかし、具体的にどうすればそれができるのか、いずれの素養もイマイチな私には皆目見当もつきません。
そうしたある日、家族旅行で蓼科に行く機会があり、そこで「八子ヶ峰(やしがみね)」という小さな山に登ることになりました。詳細は別記事を参照していただきたいのですが、久しぶりの山で吸う空気は美味しく、景色も良くて、楽しかったです。小さな山で、歩行距離も短いだろうから大したことはないだろうと高をくくっていた自分を恥じます。ジュニアも抱っこひもに揺られながら、楽しそうにしていたように見えました。ジュニアの眼にはどのように映っているのだろう、今ジュニアは何を感じているのだろうと想像しながら歩くだけで、一歩一歩の歩みがそれ以前とは全く異なる楽しいものとなりました。
その日の夜、ふと思いました。「山がいいんじゃないか」、と。
公務ではレンジャー教官などを務めた私ですが、私生活では完全にインドア派です。演習以外ではなるべく外に出たくないと思う人間です。登山はおろか、キャンプすらプライベートでは行ったことがありませんでした。
しかし、言われてみれば、私に乏しいながらも自律や感性が備わっているとすれば、その少なからずは訓練や演習と言った野外のフィールドで育まれた、そんな気もします。
なにより、私が訓練で多くの時間を過ごした山というフィールドであれば、私が教えられること、伝えられること、伝えたいことも数多くあります。
私でも、山という環境を活用すれば、自律と感性を育む子育てができるかもしれません。
方針の決定
以上の経緯を経て、子育てにおける当面の方針が決まりました。
山での活動を通じ、ジュニアの「自律」及び「感性」を育んでいくことで、幸せな人生を歩めるようになるための手助けをする。
今後このブログでは、上記方針に則った子育て模様を紹介していきます。
成功談、失敗談、面白かった話、心に残った話などを皆様と共有していけたら幸いです。